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ウェディングプランナーという私の人生 vol.1

Posted on 2024/08/30 by ideafeves

いつぶりか分からないほど、
とても久しぶりにこのBlogを開きました。

 

突然ですが、
タイトルにもあるように先日、
これまでの私のウェディングプランナー人生を
振り返ってみる機会がありました。
そうしたら、とても愛しい記憶がいっぱいで、
自分の事ながら頑張ってきたな〜とか、
あの頃は本当に大変だったな〜とか、
毎日幸せだったな〜とか、私の記憶の殆どが
ウェディングプランナーとしての日々でした。

 

いつか自分でも忘れてしまうかもしれないし、
誰かにお話しする機会なんてないだろうし、
自分のための記録として、
それからもしも私のお話が
ウェディングプランナーを目指している人や
現役ウェディングプランナーの方に
少しでも役に立ったり、安心したりできたら
嬉しいなと思い、記憶を辿りながら
私の半生を綴ろうかと思いました。

 

そう、今では本当に人生の半分以上が
ウェディングプランナーとして生きています。
気づけば、あっという間に歳を重ねました。

 

「誰が私の歴史に興味あるねん!!笑」

 

と、自分でつっこみを入れずにいられない、
そんな投稿になりますが、
もしも、万が一興味がある人がいたら
読んで見てください。

 

今より更に10年20年と歳を重ね
この記事を見たときに、私はまた
違った気持ちで読んでいるのかもしれない。

 

そんなことも想いながら、
この大好きなウェディングプランナーとして
歩んできた20数年間の人生を綴ります。
(とても長文になると思いますので、
くれぐれもご興味ある方だけぜひ)

 

_ _ _

 

私がウェディングプランナーという職業に
出会ったのは、私がまだ大学生の時でした。

 

2000年の夏。
これを読んでくれている方の中には
まだ生まれていない人もいそうですね。笑

 

ほんの少し前のような気持ちなのに、
随分と年月と歳をとったな〜と思います。
あの頃はなんにも怖いもの無しの、
ぐーたらな女子大生でした。笑

 

普通の大学に通いながら
ただ毎日を楽しく過ごし、
不安もなければ私には夢もありませんでした。

私よりも親よりも、周りの友人たちが
あまりにも心配するものだから、
半ば無理矢理やりたいことを考え始め、
大学4年生の夏ようやく考え出した答えが
「ウェディングのヘアメイクさんになる!」
でした。

 

当時、私の母がフラワーアレンジメントの
スクールで講師をしていたり、
姉もフローリストだったため、
ブーケなどを目にする機会も多く、
「結婚式」が身近にイメージできたことは
大きな影響だったように思います。

 

とはいえ大学4年生の春を過ぎ、
夏がやってきても何も決まっていない私に、
大学の先生たちは必死で
どこかに就職できるようにと
会社をたくさん紹介してくれていましたが、
(時代ですね。)

 

もう何がなんでも楽がしたかった私は、
卒業後もう一度専門学校に通う!
という名目を前から考えていたかのように
周りに公表し始めました。

 

ヘアメイクの専門学校が働くより楽(ラク)だと
思っているところもまた幼い考えでしたが、
この事実はあまり話したことがありません。笑

 

-

こんなズボラだった私が、
よく25年間もウェディングプランナーを
していられるなと自分でも人生何が起こるか
わからないと思っています。

-

 

とはいえ、ウェディングのヘアメイクさんに
憧れていたのは事実です。

 

そうと決めてから、
流石に親に学費を出してとは
もうお願いはできないと思い、
せっかくアルバイトをするなら
ウェディングの現場で
ヘアメイクさんのお仕事を
見ながら勉強したいな〜と
すぐさま本屋さんでフロムA
(当時のアルバイト情報誌)
を立ち読みし、そこに掲載されていた
とても素敵そうな外観の結婚式場に
その場で電話をかけました。

 

それが、「北野ガーデン」との出会いでした。

 

ですが一度は
「すでに決まりもう募集はしていない」
と言われました。

 

それでも私は引き下がらず、
「なんでもいいので雇ってください!」
と電話口で伝えたことを覚えています。

 

振り返りながらも、
当時の私は自分ではないような、
怖いもの無しだったようです。
(同じだと言われそうな気もしますが。)

 

細かいことはうろ覚えですが、
その電話に出てくれたのが
たまたま当時の支配人だったこと。

 

「まぁ、そんなに言うなら一度面接に来たら?」
と言われたこと。

 

実際、本当にそんな口調で軽く言われたので
半信半疑で面接に行きました。

 

そうしたら、
「ウェディングプランナー
(当時はコーディネーターと呼ばれていました)
が足りないから平日の学校終わりと週末、
アシスタントとして働いてみる?」と言われ、
当時はウェディングプランナーという
職業を全く知らず、
イメージもなかったのですがとりあえず
「はい!なんでもいいです!」と
返事したことを思い出します。

 

それが、私のプランナー人生の始まり。

 

きっとスタートが北野ガーデンじゃなかったら、
ここで学べていなければ、それはもう怖い上司と、
大好きな先輩と、そしてその後一緒に暮らすことに
なるくらいの親友に出会わなければ、
きっと私は続いていなかったと思います。

 

ウェディングプランナーという言葉も知らず、
そんな職業があることも知らず、
そこに全く興味がなかった私が、
この仕事に魅了されるのはとても簡単でした。

 

この仕事が大好きだと、誇りを持ち、
「こんなやりがいのある仕事は他にはないよ!」
と言葉と行動で教えてくれた先輩たち。
憧れでしかありませんでした。

 

「ヘアメイクの学校に通いたい」
と伝えていた私に、
「そんなのやめてプランナーになりなさい!」
とスパッと言い放った先輩。。
"そんなの"って、、、って思いながらも、
それだけいい仕事だよと教えてくれている
ことが感じられて、私もあっさり方向転換。

 

結局、有難いもので、卒業後にはそのまま
就職をさせてもらうことになりました。
それも、先輩たちが「早く社員にしてあげて」
と掛け合ってくれて。
その後には「お給料あげてあげてください」
と言ってくれたり、お酒の飲み方を教わったり、
手が小さいのに顔が大きいから
顔に手を持って行かないようにとか、
目が細いから写真撮る時には目を開けろ!とか。笑

 

今だと絶対NGですよね。
そんな風に愛のある教育を受けながら、
本当にいい先輩達に出会い、
恵まれた環境で始めたこのお仕事。

 

とはいえ、上司はものすごく怖くて、
電話の対応、言葉遣い、手紙の書き方や
字が汚かったら書き直し、
スパルタという言葉では片づけられない、
ものすごい教育を受けた1年。

 

ウェディングプランナーと
名乗らせてもらえるまで、
名刺をもらえるまでは、
1年以上かかりました。
今考えるとお給料泥棒ですよね。笑

 

それくらい、ウェディングプランナーという
職業の責任の重さをこんこんと叩き込まれ、
土台を作ってくれました。

 

一つの「結婚式」を任せられることが
どのくらい大きなことなのか。
生半可な知識では新郎新婦のお二人の
人生の門出であり大切な大切な1日を
何があっても任せてもらえない。

そのくらいのものなのだと教えられ、
震えながら学んだスタートライン。

 

今となっては感謝しかありません。

 

-

 

あの頃の記憶がずっと脳裏に焼き付いています。
楽しかったというよりは必死だったけれど、
それでも人生で初めて一つのことにのめり込み、
楽しさと悔しさと怖さとやりがい、達成感。
全てを感じることができた毎日でした。

 

よくウェディングプランナーを目指している
学生の方からの質問で、

 

・どんな勉強をされましたか?
・おすすめの教材はありますか?
・何かおすすめのサイトやこれは見たほうがいい、
知っておいたほうがいいものはありますか?

 

などと聞かれることがあります。

 

私が入社したて頃は
まだインターネットの普及もなければ
お客様とのメールでのやり取りなんてなく、
お電話、お手紙、FAX(笑)だった時代。
(どんな時代だよ!と思いますよね。笑)

 

簡単に情報を集められない分、
休みの日にはとにかく大きな本屋さんに行っては、
ウェディングに関係する全ての書籍を読み漁り、
洋書を見ては映画の中のような結婚式の写真に
恋焦がれて、いつかは海外で。。
などと大きな夢を描きながら、
日本にない洗練された雰囲気の結婚式に
憧れを抱いていたものです。

 

とにかく、どんなことでも「結婚式」という
名のつくものがあれば手を伸ばし、
ものすごく勉強をしました。
私にとってはそれが楽しくて
仕方がなかったのです。

 

もちろん学校の勉強は大嫌いでしたが、
好きな事のための勉強がこんなにも楽しいもの
なんだと知ることができたというのもありました。

 

あとは「知らない事」があってはいけない、
お客様に質問をされた時に、
「知らない」とは言えない。と、
とにかく背伸びをしていたように思います。

 

こんな私の初めての担当の結婚式は、
会場見学に飛び込みでお越しくださった
新郎新婦のお二人。

 

まだ一人前でなかった私が案内係だった頃、
会場を気に入りご決定くださった後に、

「私たちの結婚式の担当をして。」
「私たちが支配人に頼んであげる!」
「失敗してもいいから、勉強だと思って!」

と言ってくださって、
上司は渋々、私はもう嬉しさと不安と、
緊張とでおかしくなりそうになりながら、
こんな有り難くて幸せなことはないなと、
愛情たっぷりのお二人に恵まれて、
デビューをさせていただきました。

 

あの頃は全ての新郎新婦の皆さんが年上で、
皆さんとてもかっこいい大人でした。

「結婚」がイメージできなかった私でも、
「結婚式」の素晴らしさを毎週肌で感じていた
私にとって、ウェディングプランナーという
肩書きが何ともいえないくらい、
幸せで毎日がキラキラしていたように思います。

もちろん、楽しくていい思い出が沢山ですが、
毎日が緊張の連続ではありました。
毎朝扉を開けるのが怖かった日もあります。笑

 

それから数年間、
沢山の出会いと学びをさせてもらい、
ある日仲良くしてくれていたパートナーさんから、
別の会場でチーフが辞めるから人を募集している。
チャンスだと思うけどどうかな?と誘ってもらい、
上司とも沢山相談して、
一度目の転職をすることとなりました。

 

これを皮切りに、
その後何度も転職をしました。

賛否両論あると思いますが、
結果数々の会場で全く異なる
形態のウェディングを学び、
経験を積むことができ、
今があります。

 

私はその全ての経験が今の私を
作ってくれたのだと思っています。

 

そんな初めての転職先、
2つ目となる会場で出逢ったのが、
今もずっと一緒に結婚式を作り上げる
大切な仲間であり、大切な友人です。

 

ここでの出会いが、
フリーランスプランナーへの道に繋がるとは、
あの時は思いもしませんでした。

 

 

vol.2へ続く

 

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