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ウェディングプランナーという私の人生 vol.2
Posted on 2024/08/30 by ideafeves
私が会社員として会場プランナーだった時代。
ウェディングプランナーとして経験を積んだ、
2つ目となる会場も1つ目の会場と同様、
「レストランウェディング」と呼ばれ、
当時は先駆けだったように思います。
それもビルの中にあるレストランではなく、
比較的大きなガーデン付きの一軒家。
今のように自由な結婚式が
まだ主流ではなかった当時、
そんな中でも拘りの強い
新郎新婦の方々が、
選んでくださっていました。
「ホテルは嫌だな」
「普通は嫌だな」
「貸切でアットホームにしたい」
「ガーデンに憧れが」
「海外のようなウェディングがしたい」
「美味しいお料理が食べたい(提供したい)」
「ガーデンパーティーがしたい」
など、今聞くと普通のご要望のようですが、
これらを叶えられる会場が殆ど無かったのです。
「ヴェルブラン」というレストランでした。
その後、何度か名前は変わり、
そして今は閉館してしまったのですが。
この名前とともに卒業した私たちにとっては
愛しい思い出でもあります。
この場所で私が学んだこと、
得たことは本当に多く、
vol.1でも少し触れたように、
宝物だと思える仲間に
出会えたのもこの会場、
この時でした。
この後、
私の「笑えない失敗談」を告白します。
転職した頃はどうしてもまだ
前の会場での日々を忘れられず、
どちらかというと以前はものすごく厳しくて、
結婚式を「お客様の一大事」と大切に扱う分、
随分とピリピリした空気もありました。
そんな中で教育され学んできた私にとって、
なんというか職場の雰囲気もお客様との関係性も
「アットホーム感」が半端なくて(笑)
それを「テキトーすぎる」と捉えていた
頭のがカチコチだった当時の私は、
最初はみんなに馴染めず、随分と長い間
一匹狼のように過ごしていました。
同僚とはなかなか打ち解けられず、
取引先のパートナーさん達が
とても頼りになり、力になってくれました。
それが今も一緒に結婚式を作り上げ、
右腕と左腕として支えてくれている
(そんな呼び方無いけれど、笑)
司会者&ヘアメイクのふたりです。
わかる人はすぐに分かりますよね。
またゆっくりと二人については
お話ししたいですがここでは簡単に。
1つ目の会場では「披露宴」を仕切って完璧に
こなすのは全てがキャプテンの勤めでした。
ヘアメイクさんは披露宴入場まで、
司会者さんは司会台で進行通り。
きっとそうでは無かったのですが、
そんなイメージが大きかった当時の私は、
「そんなところまで司会者さんが気づくの?」
「そんなことまでヘアメイクさんがしてくれるの?」
という目から鱗な出来事の連続で、
あの頃からずっと、二人に任せていたら大丈夫。
という気持ちは今も変わらない。
プランナーである私にとって
それぞれの新郎新婦のお二人が本当に大切で、
(当たり前なんですが;)
その頃は今以上に結婚式が多く溢れていた時代、
件数をこなすことに必死だったこともあり、
パートナーさん達にとっては
ただの「一つの結婚式」だと考えているんだと
思い込んでしまっていました。
残念ながら、実際そういう体験を
したことがあったから
そう思ってしまっていました。
それを大きく覆してくれた二人。
二人以外にもカメラマンさんや音響さん、
ずっと力になってくださるベテランの
着付けの先生、牧師先生、
ドレスショップの皆さん、
ここで関わってくれた人達が
皆さん本当に温かくて、
後に殆どが仕事の関係を超えて、
友人と化しました。笑
思い出に浸り過ぎて
前置きが長くなってしまいましたが、、
そんな私は先にも述べたように、
同僚よりもパートナーさん頼りで、
あまり気を許さず、そして信用せず、
期待もしていませんでした。
嫌われていると思っていました。笑
そんな時に大事件が起きました。
自分は失敗しない、
と自信満々で偉そうにしていた私は、
大切なお客様の結婚式に「牧師の手配」を
忘れてしまったのです。
それに気づいたのは
挙式リハーサルの30分前。
本番の1時間前です。
思い出しただけでも震えるくらい、
大失敗してしまった出来事でした。
当時はものすごくアナログな管理で、
発注書も受注書もFAX。
牧師先生からは発注書がそのまま
ReFAXとして届くので、見た目は同じ。
いつもならもうそろそろ来てくれている
時間になっても先生が来ない。。
嫌な予感を感じながら資料を確認すると、
ReFAXが届いておらず発注書だけが
ファイルに入っている状況でした。
何度も何度も確認をして迎える当日。
慣れに甘えてしまっていたのでしょう。
その時は頭も真っ白で、
なんとかしなくちゃと自分のことだけで
必死でしたが、事なきを得て
(まだ自分でなんとかできたと思っている頃)
その結婚式が終えた後、支配人から、
「みんな(同僚プランナー)が全員で
必死にサポートしてくれていたんだよ。
近くの先生に掛け合ってくれたり、
待ってもらう間全員でゲストをもてなし、
その間新郎新婦のお二人にも
話をしにいってくれていたんだよ。
ちゃんと後でお礼を伝えなさい。」
と言われてやっと自分の未熟さを実感し、
周りにいる人がどれだけ頼りになるかということ、
頼ってもいいんだということ、人の温かさ、
本当に一瞬でたくさんのことを学びました。
いろんなことがあった場所。
若かったな〜と思います。
今よりうんと経験不足でしたが、
自分は完璧だと思っていた頃(笑)
家族のように毎日を一緒に過ごした仲間がいて、
温かいお客様がいて、父と同い年の支配人がいて、
ちょっと変わった人だったけど、
私のことをよく理解してくれていた人。
お客様よりスタッフを大切にしてくれた
支配人の存在に救われたこともありました。
(それっていいのかな?は置いといて。)
まだそこまでの年齢には達していないけれど、
そんな存在になれたらいいなと思います。
若くして、「チーフ」として人の上に立ち、
スタッフを引っ張っていく仕事を任せてもらい、
沢山のことを学び吸収することができました。
取引先であるパートナー会社の社長様方、
うんと目上の方々がものすごく年下の私に
とても丁寧に接してくださったことも、
大きな学びの一つでした。
数え切れない方々の協力があり
「結婚式」が成り立っていること。
新郎新婦のお二人にとっては
私たちウェディングプランナーが
窓口ではあるものの、
本当に多くの方々の力があって
結婚式が叶うということ。
それでも新郎新婦のお二人が
「ありがとう」と直接言ってくださるのは
私たちウェディングプランナーに。
良いところどりなんだということを
はじめて理解し、感謝した20代半ば。
実際、
「ウェディングプランナーが本当に好き!」
「最高の職業だ!!!」と心底思えたのも
この頃でした。
そんな私ももちろん、山あり谷ありで、
何度となくもう辞めたい。しんどい。
怖い、辛い。
と思ったことも何度となくあります。
「夢を叶えるため」
と言いながら、しんどい毎日から
逃げようとしたこともありました。
もしも現役ウェディングプランナーの皆さんが、
少し仕事に疲れた時、辞めたいな、と思った時。
あと少しだけ頑張ってみてください。
ほんの少しだけ踏ん張ることができたら、
きっとその先に、続けていて良かったと思える
人生が待っていることと思います。
実際、私が何度も体験したことなのです。
もう嫌だ限界!と思い
退職して長く羽を伸ばすつもりが、
2週間も経たないうちに
プランナーをしていたこともありました。笑
この後も更に転職を重ね、経験を積みました。
縁あって誘ってもらい、
新しいホテルのウェディング部門の
責任者として立ち上げ業務も経験しました。
まだ建物すらできていないホテルの開業に伴い、
全てを一から決めるという経験したことのない
業務を行いました。それも一人で。
大きなホテルなのに、あり得ないと思うけれど、
家族経営だった当時のオーナーは
ウェディング自体があまりイメージになく、
一人いれば大丈夫だと思っていたようでした。
今ではものすごく沢山のスタッフさんがいます。笑
正直とてもつらい1年間でした。
その内8ヶ月くらいは1日も休まず、
開業準備に明け暮れて、毎日が悪夢でした。
思い出したくもないほど
過酷で孤独な日々でしたが、
それでも味方もいたり、
そしてこの時の経験全てが
フリーランスプランナーとして
独立する私の後押しを
してくれたように思います。
できないことなんて何もない。
あれだけのことをやってきたから、
大丈夫だと。
もう随分前のことになりましたが、
誰にでも叶う経験ではないので、
本当に良いチャンスをもらい、
素晴らしい経験をさせて頂けたことに
感謝しています。
この後、はじめての東京へ。
vol.3に続く
ウェディングプランナーという私の人生 vol.1
Posted on 2024/08/30 by ideafeves
いつぶりか分からないほど、
とても久しぶりにこのBlogを開きました。
突然ですが、
タイトルにもあるように先日、
これまでの私のウェディングプランナー人生を
振り返ってみる機会がありました。
そうしたら、とても愛しい記憶がいっぱいで、
自分の事ながら頑張ってきたな〜とか、
あの頃は本当に大変だったな〜とか、
毎日幸せだったな〜とか、私の記憶の殆どが
ウェディングプランナーとしての日々でした。
いつか自分でも忘れてしまうかもしれないし、
誰かにお話しする機会なんてないだろうし、
自分のための記録として、
それからもしも私のお話が
ウェディングプランナーを目指している人や
現役ウェディングプランナーの方に
少しでも役に立ったり、安心したりできたら
嬉しいなと思い、記憶を辿りながら
私の半生を綴ろうかと思いました。
そう、今では本当に人生の半分以上が
ウェディングプランナーとして生きています。
気づけば、あっという間に歳を重ねました。
「誰が私の歴史に興味あるねん!!笑」
と、自分でつっこみを入れずにいられない、
そんな投稿になりますが、
もしも、万が一興味がある人がいたら
読んで見てください。
今より更に10年20年と歳を重ね
この記事を見たときに、私はまた
違った気持ちで読んでいるのかもしれない。
そんなことも想いながら、
この大好きなウェディングプランナーとして
歩んできた20数年間の人生を綴ります。
(とても長文になると思いますので、
くれぐれもご興味ある方だけぜひ)
_ _ _
私がウェディングプランナーという職業に
出会ったのは、私がまだ大学生の時でした。
2000年の夏。
これを読んでくれている方の中には
まだ生まれていない人もいそうですね。笑
ほんの少し前のような気持ちなのに、
随分と年月と歳をとったな〜と思います。
あの頃はなんにも怖いもの無しの、
ぐーたらな女子大生でした。笑
普通の大学に通いながら
ただ毎日を楽しく過ごし、
不安もなければ私には夢もありませんでした。
私よりも親よりも、周りの友人たちが
あまりにも心配するものだから、
半ば無理矢理やりたいことを考え始め、
大学4年生の夏ようやく考え出した答えが
「ウェディングのヘアメイクさんになる!」
でした。
当時、私の母がフラワーアレンジメントの
スクールで講師をしていたり、
姉もフローリストだったため、
ブーケなどを目にする機会も多く、
「結婚式」が身近にイメージできたことは
大きな影響だったように思います。
とはいえ大学4年生の春を過ぎ、
夏がやってきても何も決まっていない私に、
大学の先生たちは必死で
どこかに就職できるようにと
会社をたくさん紹介してくれていましたが、
(時代ですね。)
もう何がなんでも楽がしたかった私は、
卒業後もう一度専門学校に通う!
という名目を前から考えていたかのように
周りに公表し始めました。
ヘアメイクの専門学校が働くより楽(ラク)だと
思っているところもまた幼い考えでしたが、
この事実はあまり話したことがありません。笑
–
こんなズボラだった私が、
よく25年間もウェディングプランナーを
していられるなと自分でも人生何が起こるか
わからないと思っています。
–
とはいえ、ウェディングのヘアメイクさんに
憧れていたのは事実です。
そうと決めてから、
流石に親に学費を出してとは
もうお願いはできないと思い、
せっかくアルバイトをするなら
ウェディングの現場で
ヘアメイクさんのお仕事を
見ながら勉強したいな〜と
すぐさま本屋さんでフロムA
(当時のアルバイト情報誌)
を立ち読みし、そこに掲載されていた
とても素敵そうな外観の結婚式場に
その場で電話をかけました。
それが、「北野ガーデン」との出会いでした。
ですが一度は
「すでに決まりもう募集はしていない」
と言われました。
それでも私は引き下がらず、
「なんでもいいので雇ってください!」
と電話口で伝えたことを覚えています。
振り返りながらも、
当時の私は自分ではないような、
怖いもの無しだったようです。
(同じだと言われそうな気もしますが。)
細かいことはうろ覚えですが、
その電話に出てくれたのが
たまたま当時の支配人だったこと。
「まぁ、そんなに言うなら一度面接に来たら?」
と言われたこと。
実際、本当にそんな口調で軽く言われたので
半信半疑で面接に行きました。
そうしたら、
「ウェディングプランナー
(当時はコーディネーターと呼ばれていました)
が足りないから平日の学校終わりと週末、
アシスタントとして働いてみる?」と言われ、
当時はウェディングプランナーという
職業を全く知らず、
イメージもなかったのですがとりあえず
「はい!なんでもいいです!」と
返事したことを思い出します。
それが、私のプランナー人生の始まり。
きっとスタートが北野ガーデンじゃなかったら、
ここで学べていなければ、それはもう怖い上司と、
大好きな先輩と、そしてその後一緒に暮らすことに
なるくらいの親友に出会わなければ、
きっと私は続いていなかったと思います。
ウェディングプランナーという言葉も知らず、
そんな職業があることも知らず、
そこに全く興味がなかった私が、
この仕事に魅了されるのはとても簡単でした。
この仕事が大好きだと、誇りを持ち、
「こんなやりがいのある仕事は他にはないよ!」
と言葉と行動で教えてくれた先輩たち。
憧れでしかありませんでした。
「ヘアメイクの学校に通いたい」
と伝えていた私に、
「そんなのやめてプランナーになりなさい!」
とスパッと言い放った先輩。。
“そんなの”って、、、って思いながらも、
それだけいい仕事だよと教えてくれている
ことが感じられて、私もあっさり方向転換。
結局、有難いもので、卒業後にはそのまま
就職をさせてもらうことになりました。
それも、先輩たちが「早く社員にしてあげて」
と掛け合ってくれて。
その後には「お給料あげてあげてください」
と言ってくれたり、お酒の飲み方を教わったり、
手が小さいのに顔が大きいから
顔に手を持って行かないようにとか、
目が細いから写真撮る時には目を開けろ!とか。笑
今だと絶対NGですよね。
そんな風に愛のある教育を受けながら、
本当にいい先輩達に出会い、
恵まれた環境で始めたこのお仕事。
とはいえ、上司はものすごく怖くて、
電話の対応、言葉遣い、手紙の書き方や
字が汚かったら書き直し、
スパルタという言葉では片づけられない、
ものすごい教育を受けた1年。
ウェディングプランナーと
名乗らせてもらえるまで、
名刺をもらえるまでは、
1年以上かかりました。
今考えるとお給料泥棒ですよね。笑
それくらい、ウェディングプランナーという
職業の責任の重さをこんこんと叩き込まれ、
土台を作ってくれました。
一つの「結婚式」を任せられることが
どのくらい大きなことなのか。
生半可な知識では新郎新婦のお二人の
人生の門出であり大切な大切な1日を
何があっても任せてもらえない。
そのくらいのものなのだと教えられ、
震えながら学んだスタートライン。
今となっては感謝しかありません。
–
あの頃の記憶がずっと脳裏に焼き付いています。
楽しかったというよりは必死だったけれど、
それでも人生で初めて一つのことにのめり込み、
楽しさと悔しさと怖さとやりがい、達成感。
全てを感じることができた毎日でした。
よくウェディングプランナーを目指している
学生の方からの質問で、
・どんな勉強をされましたか?
・おすすめの教材はありますか?
・何かおすすめのサイトやこれは見たほうがいい、
知っておいたほうがいいものはありますか?
などと聞かれることがあります。
私が入社したて頃は
まだインターネットの普及もなければ
お客様とのメールでのやり取りなんてなく、
お電話、お手紙、FAX(笑)だった時代。
(どんな時代だよ!と思いますよね。笑)
簡単に情報を集められない分、
休みの日にはとにかく大きな本屋さんに行っては、
ウェディングに関係する全ての書籍を読み漁り、
洋書を見ては映画の中のような結婚式の写真に
恋焦がれて、いつかは海外で。。
などと大きな夢を描きながら、
日本にない洗練された雰囲気の結婚式に
憧れを抱いていたものです。
とにかく、どんなことでも「結婚式」という
名のつくものがあれば手を伸ばし、
ものすごく勉強をしました。
私にとってはそれが楽しくて
仕方がなかったのです。
もちろん学校の勉強は大嫌いでしたが、
好きな事のための勉強がこんなにも楽しいもの
なんだと知ることができたというのもありました。
あとは「知らない事」があってはいけない、
お客様に質問をされた時に、
「知らない」とは言えない。と、
とにかく背伸びをしていたように思います。
こんな私の初めての担当の結婚式は、
会場見学に飛び込みでお越しくださった
新郎新婦のお二人。
まだ一人前でなかった私が案内係だった頃、
会場を気に入りご決定くださった後に、
「私たちの結婚式の担当をして。」
「私たちが支配人に頼んであげる!」
「失敗してもいいから、勉強だと思って!」
と言ってくださって、
上司は渋々、私はもう嬉しさと不安と、
緊張とでおかしくなりそうになりながら、
こんな有り難くて幸せなことはないなと、
愛情たっぷりのお二人に恵まれて、
デビューをさせていただきました。
あの頃は全ての新郎新婦の皆さんが年上で、
皆さんとてもかっこいい大人でした。
「結婚」がイメージできなかった私でも、
「結婚式」の素晴らしさを毎週肌で感じていた
私にとって、ウェディングプランナーという
肩書きが何ともいえないくらい、
幸せで毎日がキラキラしていたように思います。
もちろん、楽しくていい思い出が沢山ですが、
毎日が緊張の連続ではありました。
毎朝扉を開けるのが怖かった日もあります。笑
それから数年間、
沢山の出会いと学びをさせてもらい、
ある日仲良くしてくれていたパートナーさんから、
別の会場でチーフが辞めるから人を募集している。
チャンスだと思うけどどうかな?と誘ってもらい、
上司とも沢山相談して、
一度目の転職をすることとなりました。
これを皮切りに、
その後何度も転職をしました。
賛否両論あると思いますが、
結果数々の会場で全く異なる
形態のウェディングを学び、
経験を積むことができ、
今があります。
私はその全ての経験が今の私を
作ってくれたのだと思っています。
そんな初めての転職先、
2つ目となる会場で出逢ったのが、
今もずっと一緒に結婚式を作り上げる
大切な仲間であり、大切な友人です。
ここでの出会いが、
フリーランスプランナーへの道に繋がるとは、
あの時は思いもしませんでした。
vol.2へ続く